2009-01-26

「法話と冥想の会」@ゴータミー精舎に参加

昨日、幡ヶ谷のゴータミー精舎にて開催された、「法話と冥想の会」に参加してきた。

今回はスマナサーラ長老による初心者指導のある日なので、冥想に興味があり、指導を希望している友達を同伴していった。

前半は、スマナサーラ長老によるご法話と質疑応答。

ご法話は、朝のテレビ番組にあふれる、占いのことに触れていた。

あれらの占いは無難なことしかいっていないという長老の指摘で思い出したのが、私の気学の師匠から教えていただいたこの逸話。
師匠は出典を明らかにしているので、私も原文を引用しておこう。
 「小説サンデー毎日」の《吉行淳之介躁鬱対談》で、昔ログマ(街頭占い師)をやったことがあるという田中小実昌氏が楽屋話をしているが、六四卦のうち「天沢履」(下卦 兌、上卦 乾)という、たった一つを覚えておけば何でも占えるという話はおもしろい。
すなわち、この卦の卦辞は「虎の尾を履む(踏む)も人を咥(か)まず、亨(とお)る」というのだが、「兌を少女とするから、少女が虎のような猛獣も恐れ る事なく甘えて尾に戯れている象ととるが、虎はこれを咬もうとはしない。

柔よく剛を制するの意で、邪気がなければ虎のような強者もあえて害を加えることはしないという卦だ。まあ何事も誠意をみせて慎重を期せば必ずよい結果が 得られよう・・・・・・・といった説き方をすれば、どんな事件の解答にもなるというのだが、実際にこの手を用いたと、実験者は語っているのだからおもしろ い。
(新人物往来社発行・歴史読本増刊号「占い予言の知恵」から引用)
占いなんてものは、その程度のものだということ。

では、気学は占いではないのか?
私は、気学が「当てもの」ではないことを理解しているし、師匠の「気学は哲学である」という言葉を断然支持する。

話が横にそれてしまった。

質疑応答で印象に残ったのが、陶芸を生業とされている方の「美しいものを作ろうとするのは、他者の業をつくることにならないのか?」というもの。

長老のお答えは、「いいもの、美しいものを作った方がいい。仕事なんだから。」だったと記憶している。

思うに、仕事をする人にとってはいいものをつくるほうがいい、美しいと感じて業を作るのは美しいと感じる側の問題だ。ということなんだろう。


後半は、約10分の休憩をはさみ、経験者は自主冥想に、初めての方々は冥想指導にとわかれた。

私は初心者指導を二回聴いていて、毎日とはいかないもののヴィパッサナー冥想を実践しているので、今回は自主冥想に参加した。

自主冥想は、自宅で落ち着きのない環境でするのとは異なり、1時間の歩行冥想や40分を超える座る冥想に集中して取り組むことができた。
いままで、これほど集中して冥想したことはない。

やはり、普段ゴータミー精舎で開かれている自主冥想会に参加したほうがいいのだろう。

この会の開催時間は14時から19時半までで、途中10分ほどの休憩が一度あるのみという、在家にはなかなかきつい修行なので、友人は疲れた様子だった。

これから、冥想を実践して、「成功者」になってくれるといいのだが。



Sabbe sattā bhavantu sukhitattā
生きとし生けるものが幸せでありますように